dongrikunの日記

どんぐり、鬱になる、、、そしてにゃんこ姫の出産日記(子宮線筋症の核手術を経て)  子宮線筋症の核手術、鬱を経て、まさかの妊娠発覚! 高齢出産となりますが無事ににゃん太郎は産まれてくれるのでしょうか? 子宮線筋症からの妊娠〜出産、または不妊治療の方も増えていると思います。 私は幸い不妊治療はせずに妊娠しましたが、高齢である事、核手術を受けていた事から、無事に出産できるかはまだ分かりません。 日々の状況を書き綴っていこうと思います。

母と娘と苦悩の日々

ずっと忘れようとしてきた事が、今回の妊娠騒動でまた再加熱してしまいました。

なかなか書く気にならなかったのですが、先日、母にまた過去の件であたってしまいました。
別の要件があって連絡していたのですが、母の意味不明な対応にちょっとキレてしまい、また過去の話を持ち出してしまいました。

その結果、母は体調を崩したようです。


私は母のことで20年も悩み続け、涙を流し、気持ちの整理をしてきたのにたった2回、私の気持ちをぶつけただけで寝込むとか、、、
どれだけ自分勝手で残酷な人なんだろう、と思ってしまいました。

人に厳しく自分に優しい人です。

酷すぎる。

私には母と離れて生活していても自然と涙がでてきてしまう時期が20年以上もあります。

長文になります。


ダーリンと出逢うまで私は自分の存在を否定する事しかできなかった。
そんな私にとって、自分の存在価値を感じられる唯一のものが音楽だった。
好きで音楽をやっている人はたくさんいるかもしれないけど、私の場合は好きだからやっていたのではなく、自分の存在に価値を作るためだけにやってきた。
音楽が楽しめるようになったのは30代中旬頃からかもしれない。

4歳から音楽をやってきて、母は自分ができなかった事を私に託した。
音楽大学に行かせて、でも母は音楽の先生にでもなってくれればいいと思っていたらしい。

人は産まれると、いやもしかしたら産まれる前にはもう意思や人格が出来上がってくる。
母の引いたレールにうまく乗れるとは限らない。
母にとって私の意思は必要ないものであったように思う。

音楽を通して悩み苦しみ、出会いもあり、楽しさを感じるまでなんて長い道のりだったんだろう。

確かに私は高度な知識を身につけてもらったと思っている。
だけど、私なりにも努力もした。

私には妹と弟がいる。

で、母がやらせたバイオリンが一番長続きした私に音大へ、父の後継にしたかった弟はその方向へ導いていったようだった。

私はとても不器用で音楽以外の一般常識についてはあまり母は教えてくれず、母が満足する方向にばかり誘導されたような気がして、大人になってからたくさんの間違いを自分で経験しながら悩み、考え、正して学習してきたと思う。
だから、人との付き合いはとても下手で、生きにくい人生だったと思う。

割と有名な音楽大学には浪人せずに一発で合格。
人一倍不器用な私にしては上出来だったと思う。

高校生の頃、地元の個人コンクールでも賞をもらった事があった。

その時も学校の音楽の先生から、なぜお前が、、、みたいな言い方をされ、その先生からは音大へ受かった時も嘘だろ?みたいな言い方をされた。
他に可愛がっていた生徒は入選せず、お祝いムードにはならなかった。

私は愛されない子だったと思う。

誤解もされやすく、他の人ならOKな事も私は許されないとか、、、多分、可愛くない子なんだと思う。

理解されにくいとも思う。

だから、私を庇ってくれる男の人と一緒の時は少しだけ楽に生きることができて、うまくバランスもとれ、力を発揮していく事ができる。

それが付き合っている人かどうかは関係ないけど、付き合っている人がそうであると尚更、うまくいく。

そのせいもあり、男には苦労したような気がする。

音楽は3人きょうだいの中で自分を認めてもらう唯一の手段だった。

弟は愛嬌があり、誰からも好かれる子だったけど、私は妹との比較が耐えられず、ずっと何かと闘って生きているのに子供の頃から疲れてしまっていた。

だから正確に言うと20年というより、少なくとも30年は悩み続けたと思う。

私が無理してでも実家を出たかったのは自分の人格を解放したかったから。

それでもずっと時間がかかり、私は家族の話をあまりしなくなっていった。
今でもきょうだいの話は外ではあまりする事はない。

母は家事が嫌で家出をした事がある。

それから、父は家事をものすごく手伝うようになった。

そして母をよく褒める。

母はそんな父にたまに失礼な事を言いつつも、それで上機嫌になる。

私はそんな母を尊敬した事は一度もない。

私は子宮腺筋症と知らない頃から、それが原因だったと思われる様々な症状にも苦しんできた。

その為に人よりうまくいかない事もあったけど、母はそんな事は知る由もなく、知ろうともせず、家事をキチンと手伝えない時は烈火の如く怒鳴りつける。

自分の思い通りに私が動かなければそれでキレる。

今から思うとある意味精神的DVだったような気がする。
もしくはモラハラに近いような感覚。

母にはその自覚はなかったと思う。

以前にも書いたけど、家族で祖父のお見舞いに行った時についでに温泉旅館に前泊した時があった。
母の実家は石川県で日帰りでのお見舞いが出来なくはないけど、せっかくなので温泉旅館に前泊して次の日にお見舞いに行ってから帰ろうという事になった。
両親と妹夫婦と弟と私の6人で行く事になり、私はあまり気が進まない、というより嫌な予感がして生きたくなかったけど、祖父に会えるのもこれが最後になるかも、と思って行くことにした。

旅館での夕飯の時のこと、、、

中居さんが2~3人で対応してくれていた中で、母はご飯をよそらない私にまた怒鳴りつけた、、、

中居さんが慌ててこちらでやりますから、と言う。

涙を必死に我慢したが、精神状態はぼろぼろで、その日から、しばらくは誰とも話をしたくなくなった。


実は母も優しそうな顔をしているので、一見、悪いのは全て私になる。

人は見た目だと思う。

それ以上の事を敢えて知ろうとする人は少ない。

母は資格を取って一人で仕事をしているから、人を使う事もしらないし、会社内の摩擦なんてしらない。

なのに人生の先輩のような態度をとる。

見たくない事には全て蓋をして、楽な仕事なんてどこにもない、とか、分かり切ってる事しか言わない。

楽な仕事をしたいなんて考えたことないのに、一方的にそういう話をして、母てしての仕事をした気になってる。


私の人格や意思、悩みを無視して怒鳴りつけられた事は旅館でのこと以外にもたくさんある。

私がダメな人間なんだと思う。

でも、生きていかなければならないから、少しでもまともになろうと、自分なりに一生懸命考えて、何がダメだったんだろう、どうしたら良かったんだろうか、どんな人間になりたかったんだろう、とずっと考え続けてきた。
ついこの間まで、ずっとそうだった。

ダーリンのおかげで少し楽になったけど、私は母によく似てる。
数々の母との交流の中で、母のモラハラ的な部分をかなり受け継いだと思う。
それは今後も意識的になくすようにしていかないといけないと思っている。
じゃないと自分の子供に同じ思いをさせてしまう。
それだけは避けたい。

妹もそうだけど、言葉が汚い。

人の気持ちなんて考えられないと思う。
妹の旦那もそうだった。
二人は離婚した。
妹の旦那はDV男に凶変し、そんな中、妹は不倫、その結果の離婚だった。

私は結果しか知らなくて、途中のいろんな状況をしらないから、それだけで判断はできない。

そして、今回の入院に対しての妹からの応援メッセージを母から受け取ったけど、文章から、思考の幼さが伝わり、妹もまたある意味被害者だけど、自力でのコミニュケーションを学ばずにこの歳まできたのかと思うと残念に思った。
普通にお祝いと応援のメッセージだけなのに、なんて幼さが伝わってくるんだろうと思った。


父が仕事で成功している為、一見、とても裕福で幸せな家に産まれたと思っている人も多いと思う。
特にこの数年で出会った人たちはそう思っている人が多い。

でも、幸せってそういう事なのかな?

出産前の今、母に私の今までの思いを受け止めて欲しかった。

でも、結果的に母を傷付け、体調を崩させてしまった。

結局は子供がずっと悩みを抱え続け、我慢し続けて、良い子を演じ続けなくてはならないんだろうと思う。

母が体調を崩すことがないように、これからは全てを忘れて全てを許して、自分の為の人生を生きていかないといけない。
ダーリンと赤ちゃん、3人の家庭を守っていかないといけない。

子供が全てを受け止める、、、

理不尽だと思う。

でも、人生なんてそんなもの。

人は自分の経験値でしかものを判断することができない。
想像力が豊かで思慮深い人であればそれ以上の判断はできる事もあるとは思うけど、実際のところ、ほとんど人が経験値内でしか判断はできないと思う。

本や映画をたくさんみた人が思慮深い訳でもない。

頭の良し悪しでもない。

事実をしっかり知ろうとしない人には何も経験値以内でも分からないと思う。

大抵は上っ面の情報だけに躍らされて全てを知った気になる。

私も母から教わらなかった事をこれからまだまだ学習していかないといけない。

これからはダーリンや子供が私に教えてくれる事は多いと思う。
それをまた子供に伝えていければと思う。